田舎のごちそう!

日本初の新婚旅行

1866年3月9日、京都伏見の「寺田屋」で龍馬は、三吉慎蔵と共に幕士に襲われ、手傷を負うことになりました。ピストルで応戦し危機を脱出した龍馬は、事件の1ヵ月後、西郷さんから傷によく効くと評判の「霧島塩浸温泉」での湯治をすすめられ、お龍と共に同年4月17日、京都を出立、大坂からの船旅を経て(薩摩船・三邦丸)4月24日に鹿児島着、5月1日からの11泊を霧島で過ごしたと記録されています。 その後も7月13日まで鹿児島に滞在し、帰路についたということです。 いろいろあったので相当ゆっくりのんびりの新婚旅行ですね。

 

 

お龍のこと

青蓮院官家の侍医・栖崎将作の娘で、父は安政の大獄で投獄され、志半ばで病死してしまいます。父の死後、姉弟を養うため扇岩という旅館に奉公し、竜馬と出会う事になったのですが、それから間もなく、お龍の妹達がだまされて大阪の遊女に売られるという事件がおきます。


◆坂本龍馬お龍新婚湯治碑

この時、お龍は刃物片手に単身女郎屋に乗り込み、無事に妹を救出したそうです。 気が強く奔放、茶道・華道の心得もあったようですが、家事は苦手なタイプだったとのことです。当時、龍馬とはたびたび京都鴨川べりをデートしていたそうですが、男女が連れ添って歩く事がおよそなかったこの時代に、二人の感覚はすでに先に行っていたようですね。

話は遡って、「寺田屋」の捕り物の際には、入浴中だったお龍が異変に真っ先に気づき、裸に袷(あわせ)1枚で2階に駆け上がり、龍馬に危険を知らせたそうです。 手傷を負った竜馬の為、伏見の薩摩藩邸に走り、救護の兵をだして一命を救いました。 そんなお龍の機転に感銘を受け、龍馬は妻として迎えたのかもしれません。

「薩長同盟」会談のパイプ役として大役を果たした龍馬は薩摩人として寺田屋に宿泊していましたが、そこを伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方百数十人が包囲し襲撃、両手に深手を負いましたが、お龍の活躍がなければおそらく、ここで龍馬の命は絶たれていたのだろうと思います。 歴史を大きく変えたこの時代の、硬派なラブロマンスと二人の強い絆を感じざるを得ません。

※参考資料「霧島市観光課 刊行PRグループによります。

 

 

 

 

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